Re:大学院在学中にレールに乗ったまま起業した話

2年ほど前に、うちの社長がアツい記事を投稿していました。

chokudai.hatenablog.com

そのなかで、こういった文章がありました。

ちなみに副社長は和歌山から無理やり東京に引っ越しさせちゃったので、退学したみたいです。ごめんね副社長。

大学院在学中にレールに乗ったまま起業した話 - chokudaiのブログ

この1文のせいで、うちの社長がサイコパスっぽくみえてしまい、ちょっと不憫に感じたので、補足説明を行います。

で、お前だれ?

AtFreaksのバイトのみんな

大学院在学中にレールに乗ったまま起業した話 - chokudaiのブログ

バイトのみんなのうちのひとりです。はじめましてこんにちは。神戸市生まれ大阪府育ちです。筑駒みたいな環境では育っていません。小学校から高校までは公立で、大学は国立です。家計に大変優しい青年でした。泉陽高校という偏差値68~70くらいの公立高校出身です。女の子多いし可愛いし、マジでおすすめ。twitterで 泉陽 って検索して確かめて。大学は和歌山大学で偏差値50くらいです。お手軽〜〜。そういう意味で、私は @chokudai のような人間ではありません。どちらかというと、このブームの先駆けとなった石田氏に近いと思います。

自分語り

天才との差を書きます。普通の青年です。

小学生

社会的なレール(もはや何をもってレールというのかわからなくなってきたけど)に乗りたくて乗りたくて仕方がありませんでした。小学生の頃の夢はサラリーマンでした。30代で年収800万くらいを目指していました。大阪市立大学大阪府立大学の理系学部大学院を卒業し、そのまま学生時代から付き合っていた人と24歳前後で結婚し、26歳くらいで子供を持つ予定でした。60歳で死ぬまでの全行程をシミュレートして小学校の卒業文集に書きました。いま思うと時期尚早の中二病です。しかし、それくらい大人のことをよく観察していて、周りがみえていました。冠婚葬祭のマナーも完璧でした。この頃までは少しだけ天才だったかもしれません。

中学生

小学生のころから続けていたサッカーでなんかよくわからん小さい市の選抜に入りました。生徒会役員でした。成績は良かったです。内申が、最低でも8で残りは9か10です(もう覚えていません)。数学がいちばん好きでしたが、自分にセンスは無いということに気が付きました。どうやっても勝てない人がいます。全科目で90点以上を取ることができたので(美術・音楽・保健体育の実技込みでも)、何が得意だったのかよくわかりません。だいたいこの時点で偏差値70前後の高校に入って、最低でも30代で年収600万は固いなと思いました。

高校生

遊び呆けていました。学校の課題を提出した覚えがありません。サッカー部の活動が大変でした。入学したとき、2つ上の先輩が信じられないほどうまい人達ばかりで、推薦で選手をとっていない普通の公立高校でこのレベルならば、もう高校サッカーについていけないと思いました(この話には裏があって、2つ上の先輩たちは地域トレセンで仲がよくなり、全員でこの高校に進学しようと話を合わせて進学したという噂です。)あと、そこにガンバユースあがりの人たちがいて、わけわからんことになってました。めっちゃ上手い。パススピード早すぎ。ボールさわれないし。

罰走で100m*10本ダッシュしてから試合したときと、合宿で1日3試合した日は死ぬかと思いました。

また、わたしとしたことが、うっかり、トップクラスのバカが集まる男子テニス部と仲良しになってしまい、女子生徒の顰蹙を買うことに快感を見出す荒んだ精神をここで培いました。「あの時代にtwitterがあったら、お前たちはバカッターとして晒されている」と何人かに言われましたが、我々は賢いので足がつくようなことはしません。2chもロム専でした。その頃、クソバカどもと学校サイトを作ったことがあり、ガラケーでHTMLとCSSを書いていました。書き方はよくわかりませんでしたが、持ち前のノリの良さでなんとか書けました。ポチポチしすぎて指を痛めました。

大学時代

クソ馬鹿なので志望校に落ちました。小学生の頃に立てた人生設計に暗雲が立ち込めます。関関同立も併願で受かっていましたが、偏差値50の国立大学と私学を比較したとき、国立の安さは魅力的でした。志望校に落ちた時点で学歴など遠い世界になっていたので、もはやどうでもよかったです。さて、和歌山大学システム工学部情報通信システム学科に進学した理由ですが、これといってありません。30代で年収600~800万くらいの仕事にありつけるのは、電気電子か情報工学が近いだろうと考えていたからです。金融系やコンサル業は自分に向いていないと思ったので除外しました。というか、この大学からじゃ無理じゃない?本当は航空機(戦闘機)の設計に関わりたいところでしたが、狭き門だと感じて諦めました。いま考えても正解だったと思います。 @chokudai はこの時期くらいに

このあたりで、メインスキルをアルゴリズム、サブスキルをTwitterなどの発信力、として、この2つのスキル+αで何が出来るか、というのを考え始めるようになりました。

大学院在学中にレールに乗ったまま起業した話 - chokudaiのブログ

自分のスキル、進む方向を決定していますが、自分は全くそんなことはなく、ズレた人生設計の軌道修正を行う必要がありました。なので、最初から真面目に勉強しました。半期で取得できる最大の単位数は27単位で、1年前期は27単位を取得しました。フル単ってやつです。専門科目で100点がいくつかありました。1年の夏休みは白浜にあるそこそこのランクのホテルでボーイとして住込みバイトをしました。社会の厳しさを味わいました。楽しかったですけど。しかし、夏休みが終わって気が付きました。

大学に入ってから何も得ていない。

フル単でした。高校時代とは違って成績優秀でした。それでも、何も得ていません。当たり前です。情報工学に関する授業なんてほとんど始まっていないのですし、あったとしても、主に講義形式でした。記憶も怪しくなっていますが、コンピュータの構成に関する講義があったような気がします(CPUとかALUとか命令セットアーキテクチャとかの話)。あと、アセンブラ。「Cプログラミング入門以前」もこの時期に読んだ気がします。

Cプログラミング入門以前

Cプログラミング入門以前

危機感がありました。学部生活の1/8が終了した時点で、この程度の知識、しかも、入門レベルしか得ていない。どう考えても情報工学の世界には学ばなければいけないことがたくさんあって、ぱっとシラバスをみただけでも、ネットワーク、暗号理論、画像処理、離散数学、などの面白そうなことが書いてあります(たぶん、自分の才能はここにあって、適当に選んだ適当な大学の学科でも、すでに面白そうだと感じていることですが、それに気がつくのはまだ先の話です)。この世界に入門し、すこし視界が広がったからこそ理解できました。ただ単に講義に出席して試験で高得点をだしても得られるものは知識だけだと。序の口なんです。講義は。分野の最前線にいる先生が、その世界の浅瀬を案内してくれるだけです。手に職つけて稼ぎたければ、技術が必要で、それを実践する実習形式の講義もあるけれども、やはり自分で何かをやらなければ全く身につきません(予防線を張ります。専門学校 vs 大学 という構図は持ち出しませんし、議論もしません(さらに張ります。知識が必要な学科、たとえば法学部などは、事情が異なる思います))。そして、気が付きました。大学に入るまでパソコンに触れたことがない自分は、圧倒的にスタートラインの後ろにいると。これは演習の授業で気がついたことです。周りの人々がキーボードを見ないでタイピングしています。パソコンの操作が圧倒的に早いです(Windowsのどこを押せば何ができるか、完璧に把握しているふうに見えた)。やべえぞこれ。

そこで、1年の後期からは真面目に講義に出席するのをやめ、効率的に単位を取得する立ち回りに変化しました。そして、空いた時間でプログラミングに関する自習をはじめました。お金がないので色んな種類のバイトをして本を買いました。おかけでC言語のポインタはなんとか乗り切ることができました。

C言語ポインタ完全制覇 (標準プログラマーズライブラリ)

C言語ポインタ完全制覇 (標準プログラマーズライブラリ)

2年になりました。ポインタをなんとか乗り切った自分を待ち受けていたものは、「アルゴリズム演習」という演習形式の授業でした。

1. 「不思議の国のアリス」のある章が入力として与えられるので、各単語の出現回数を昇順ソートして表示しろ
2. 日本全国の駅リストが与えられる。ある2点間における最短経路を表示しろ

という課題がありました。何をしたらいいのか全くわかりませんでした。自己参照構造体??二分木??ダイクストラ?????ここで確信するのです。自分にはセンスが無いと。絶望しました。せっかくやる気になっているのに、どうやら自分は選択ミスをしたようです。どうしよう。

いっぽうその頃 chokudai は

「世界3位とれたんだから向いてる!だから自分はこれをやるべきだ!」って感じで、授業中もずっと競技プログラミングをやってました。1年でレーティングを大幅に上げ、ITMediaで連載も書かせてもらえるようになりました。

大学院在学中にレールに乗ったまま起業した話 - chokudaiのブログ

だそうです。この天才野郎め...(この頃、出会ってもいなかったです。記事は読んでました)

B3~初のWeb系バイト

けっこう呑気してた僕の人生ですが、頭上に点滅する黄色信号のせいでだんだんと追い詰められていきます。日銭を稼がないと彼女と遊ぶこともできないため、塾の講師と引っ越しとAVの検品のバイト(これは非常に面白バイトで、ソーティングアルゴリズムが重要です。長くなるので省略します)をしていましたが、得られたスキルは、子供への接し方、筋肉、無限に流れてくるエロDVDの製品番号を0.3秒で把握する能力です。プログラマには全く必要ないですね。そういうの、全部B3の夏にやめました。Web系のバイトをはじめました。運良く面接にありつけましたので(運良くとは書きましたが、実はその運を引き寄せるためにいろいろやってました。書くと長くなるので省略します)。

冬頃になると、なんと、その会社で出会った人たちが、AtCoderというサービスで会社を作ることになりそうでした。当時のバイト先の役員の方から、「けんしょーも役員になってみる?」と無邪気な無茶振りというか、チャンスをもらいましたので、「あ、やりまーす」と気軽に答えた時点で人生が分岐しました。

気軽に起業したのか?

そんなわけないです。脳味噌お花畑の私でも久しぶりに考えました。

起業することのリスクとリターン

  • めちゃくちゃ働くので家族に迷惑がかかる
    • 男子大学生なので家族なんて親と兄弟しかいない(彼女には物凄く迷惑をかけた)
  • 借金がこわい><
    • 怖い人から借りなければいいだけ
  • 会社員ではないので、現在の勤務先などを辞めるとか、そういうことを考える必要はない
  • 大学生ではあったが、さすがに卒業くらいはできるだろう(これは誤りで大変苦労しました)
  • 生涯年収が下がってしまうのでは?
    • 2012年くらいの、大卒平均初任給が21.5万円とか。50歳以上の平均月収が52.7万円くらい。
    • 仮に、小学生の頃に働きたいと思い描いていた日系の大企業に新卒で入社できたとして、自分が50歳になる2039年に、そんな給料がもらえるか?と考えたら怪しい(その後の三洋や東芝をみると、まあまあこの予測は正しかったみたい)。
    • 日系の大企業に入ってしまうと、自分の給与テーブルが想像できてしまうので、なんかつまらんなあ、という気分になった(これが未だに想像でしかないです)。


そんなことよりも、自分がB1~B3までに経験したことを思うとやらずにはいられなかった。

  • 自称 ""イケてる"" 連中への恨み
    • 派遣社員を顎で使う正社員様
    • 仕事は人にさせるもの(本来は「お願い」してやってもらうものなのに、横柄)という意識が見え隠れする
    • 運悪くそういう連中をたくさん見てしまった
    • なかにはとんでもなく腰が低く、能力が高い正社員がいて、憧れではあったが
  • 負の連鎖に陥っている子供
    • 親が貧しいとまともな教育機会が与えられず、貧困が受け継がれてしまう
    • 本人の努力ではどうしようもない
  • いずれは機械に置き換えられる仕事で生計を立てている人たち
    • AVの検品とか

この腐敗した世界に産み落とされてしまったことを後悔するくらいなら、自分の理想郷を作ろうとあがいたほうが自分の性格にあっているので、もらったチャンスに乗っかることにしました。

大学にいって意味あった?

ありました。なんやかんやで基礎は覚えましたし、スキルも身につけることができました。講義を聴いて、優秀な成績を修めるだけでは駄目だと、早めに気がついたのは大きいですが、研究室に入って、指導教官に鍛えられたことは、最も大きい経験です。

失敗を恐れては成功出来るものもできなくなる、とは言います。実際、本当にそれだけに命を注げば、変にリスクマネジメントをするよりも、成功率は高くなるかもしれない。でも人間ってのはそれが出来ない。崖のすぐ傍でいつものように全力疾走が出来る人間というのは、そんなに多くない。 だったらするべきなのは、全力で走るために、崖から離れることなんです。それが、大学に通い続けるという選択です。それを残しておくことで、精神的な安定が得られるんです。

大学院在学中にレールに乗ったまま起業した話 - chokudaiのブログ

こういう理由で大学院には進学しました。当たり前です。なぜ意味もなく退路を絶つのか。そして、休学からの中退をしました。休学したのは大阪から東京に引っ越して、本気で事業に取り組むためです。しかし、休学なので籍は残しています。国立なので休学にかかる費用は0円です。使わない手はありませんでした。ここまできたらノーリスクじゃないかと思われるかもしれません。しかし、1つだけ問題があって、付き合っていた彼女と別れなければなりませんでした。きっと、自分はこの先、ずっと当時のことを謝罪していくのだろうなと思います(重すぎか???(案外、向こうは忘れてるかもしれないのに(chokudaiは「いいの??本当に??大丈夫なの???」って心配してくれてた)))

中退を決めたのは、AtCoder社がそれなりの規模になったことと、人を、正社員として雇用し始めたからです。

当然、被雇用者の生活も掛かっている。

大学院在学中にレールに乗ったまま起業した話 - chokudaiのブログ

他人の人生を背負っていかねばならないのに、自分の逃げ道を残すのはダサいです。ここまできたらもう絶ってしまいましょう(このへんの価値観はひとそれぞれだと思います)。


自分の強みについて

chokudaiという人間は、圧倒的なアルゴリズム能力があります。弊社に所属する社員さんはみなさん、そんな感じです。では、自分にはいったいどのような強みがあるのでしょうか。いままでやってきたことを思い出します。

  • 登記、決算などのタイミングで書類作成
  • お金の管理
  • 適切なタイミングで人を雇用する
  • オフィス選定
  • 会社として資格が必要になったら取得する
  • プログラミングやサーバ構築
    • もうこれからはしないけど
  • 営業活動と事業の推進
    • アポイントメント、面会、提案、契約成立、案件着手からの進捗確認、トラブル対応、請求という初めから終わりまで

何が得意なのかわかりません。少なくとも、自分は何かに特化している人間ではないので、いろんな分野で60点〜80点のスキルをもっているタイプです。それなりに何をやっても楽しめます。

何かに特化している人間に対して、コンプレックスみたいなものもありました。自分にはたどり着けない境地にいる人が眩しく見えました。しかし、28歳になって、いままでやってきたことを振り返ると、そう悪くなかったと、自分で自分を認めることもできつつあります。だって、彼らは俺にはなれないからね(たまに、何をやらしても100点取る人がいるけど、そういう人は見なかったことにする)。ほとんどの人は、何かに特化しているわけではありません。変に劣等感を抱いて時間を無駄にしないようにしましょう。

さいごに

これは、5年ほど前に休学して大阪から東京へやってきたときの様子です

f:id:Akensho:20130923055856j:plain

クソバカなのでスーツケース1つでやってきました。いつまでのこのときの厳しい気持ちを忘れないようにしたいと思います。布団の準備くらいしとけよバーカ。