きっと何者にもなれないお前たちに告げる

これは退学アドベントカレンダー2015の24日目に捧げる文章です。

経緯

退学アドベントカレンダーということで、当日になったらアドベントカレンダーそのものから退学しようかと目論んでいた。しかし、見事に先を越されてしまった。ここを見てほしい。見事に埋まっていない。極めて遺憾である。ネタがなくなってしまった。 これを「後の祭り」という。仕方がないので真面目に書きます。

退学に至るまでの流れ

  • 2012年6月 起業する
  • 2013年4月 大学院へ入学する
  • 2013年9月 休学届を提出し、東京へ来る。設立した会社に集中する
  • 2015年9月 退学届を提出する

お前、ポジティブな退学じゃないか?

退学にポジティブもネガティブもないと思います。ただ「辞めた」という結果があるのみです。

なぜ辞めたのか?

大学院課程では、研究を行うことが重要です。研究室内でも、一人の戦力としてみなされることでしょう。そういった環境で、学会の締め切り直前になってまで、指導教官に大変お世話になるようなことがあってはいけない(お世話になってもよかったんだろうけど、私には後述するよう特殊な事情があり、それを考えるとお世話になるのは非常に良くない)と思いました。また、卒論を書いている段階で、自分に研究は向いておらず、働いたほうが合っているということが初めてわかりました。

2年ほど休学している意味は?

B4のときに会社を作って仕事を始めました。卒論を書いた段階でおぼろげながらに見えたことは

  • 自分に研究は向いていない
  • スタートアップと大学院生活は両立できない

という2点です。そして、向いていない研究を捨てて、会社に集中するため休学することにしました。この時点で退学しなかったのは、起業に失敗しても戻る先を確保するためです。(実際、失敗して戻ってきても辞めたと思いますが)

休学中にどんな仕事をしていたのか?

ここ2年間の記憶が殆ど無いのでわかりません。盆と正月はあったはずですが、クリスマスはなかったです。もしかしたら、全く働いてなかったのかもしれません。

タイトルの意味は?

大学院を卒業し、綺麗な履歴で社会人になることもなく、スタートアップとして成功することなく、路傍の石のように、誰にも気にかけてもらうこともなく、ただひっそりとその孤独な生涯を閉じるイメージを言葉にしました。元ネタは、輪るピングドラムというアニメがあり、そこで使われているセリフを拝借しました。大好きな作品です。こどもブロイラ〜

真面目に書け

中退・退学に至るまでの流れは人それぞれです。金銭的・精神的に続けることができなくなってしまった人もいるでしょうし、違う目標のために自ら去る人もいます。ここで書きたかったのは、退学しても死なないということです。確かに、中退・退学することで自分の経歴に傷がつき、社会的な信用を失ったり、就職するのが難しくなるかもしれません。しかし、たかがその程度です。それが直接的な死因となることはないはずです(死因:退学は聞いたことない)。そしてもちろん、人間は死にますが、その原因は中退学以外のところにあるのでは?それこそ精神の問題だったり、人それぞれです。むしろ、研究が辛くて続けられない人は積極的に辞めることを考えるべきかもしれません。そうでなければ死因が研究になってしまいます。院卒の肩書を得るために、精神壊してまで続けることか?と思います(考えなしに辞めるのもどうかと思うけど、、、)。自分の生存戦略を真面目に考えて、辞める・辞めないの判断を惰性ではなく確固たる意志で判断しようという話でした。